アソビューの山野智久社長ががっちりマンデーなどにも出演し注目されています。
この記事では山野社長の経歴を明治大学卒業からリクルートでの経験、さらにはアソビュー創業後の急成長に至るまでの道のりをわかりやすく紹介します。
- 山野智久の明治大学卒業までの学歴や学生時代の活動
- リクルート入社後に身につけた営業力やビジネス基礎
- アソビュー創業から事業拡大に至るまでの過程
- コロナ禍を乗り越えた経営手法と今後の展望
山野智久の経歴wiki風プロフィール
プロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 山野智久(やまの ともひさ) |
肩書 | アソビュー株式会社代表取締役CEO |
生年月日 | 1984年生まれ(正確な日付は非公表) |
出身地 | 千葉県 |
学歴 | 明治大学法学部卒業 |
小学校・中学校 | 千葉県柏市立のどこか |
高校 | 千葉県公立のどこか。高校卒業後浪人 |
学生時代の活動 | フリーペーパー発行(累計30万部発行) |
新卒入社企業 | リクルート |
起業歴 | 2011年 アソビュー株式会社設立 |
主な事業 | 遊び・体験予約サイト「アソビュー」の運営 |
注力分野 | 観光業界のDX推進、事業の多角化 |
家族 | 妻と子ども |
信念 | 遊びを通じて人々の生活を豊かにする |
コロナ禍の対応 | 社員の雇用を守るための在籍出向制度を導入 |
将来展望 | 海外展開を視野に入れたさらなる事業拡大 |
社外の役職 | 観光庁アドバイザリーボード、経済同友会観光再生戦略委員会副委員長、日本車いすラグビー連盟理事長 |
学歴は明治大学卒業
山野智久氏は、千葉県で生まれ育ち、幼少期からリーダーシップを発揮する機会が多かったとされています。学生時代はサッカー部の部長や生徒会長を務めるなど、常に前に立って物事を進める役割を担っていました。高校時代にはサッカーに打ち込みながらも、大学受験の失敗を通じて事前準備の重要性を痛感する経験をしました。その後、明治大学法学部に進学し、法律を学びながらも地域活性化への強い関心を持ち始めます。
大学在学中には、地元柏市で地域情報を発信するフリーペーパーを発行し、累計30万部を発行するなど学生ながら注目を集める存在となりました。この活動を通じて広告ビジネスやメディア運営に触れ、のちの起業家としての基盤を築きます。こうした背景から、山野氏の学歴は単に学校での学びにとどまらず、実践を重視した経験に裏打ちされたものだと言えます。
学生起業で注目された過去
大学時代の山野氏は、単に学業に専念するだけでなく、地域社会への貢献を目指して積極的に活動していました。その象徴的な取り組みが、柏市でのフリーペーパーの発行です。このフリーペーパーは、地元の若者をターゲットにした内容であり、ファッションや音楽、カルチャー情報を中心に据えていました。当時、地元に密着した情報発信媒体は限られており、山野氏の取り組みは多くの若者に支持されました。
さらに、このフリーペーパーを発行するために広告営業も自ら行い、収益を上げることで継続的な発行を可能にしました。この経験を通じて、山野氏は営業力やマーケティング力を磨き、ビジネスの基本を学んでいきます。学生起業という形での挑戦は、のちのアソビュー創業へとつながる大きな布石となりました。こうした活動を続ける中で、将来的に本格的にビジネスを展開することを意識し始めたと言います。
リクルート入社後のキャリア
山野氏は明治大学を卒業後、新卒でリクルートに入社しました。当時から将来的な起業を視野に入れていたため、リクルートをキャリアのスタート地点に選んだ理由として「石の上にも三年」の精神でビジネスを学ぶことを挙げています。リクルートでは主に人材サービスの営業を担当し、多くの企業と関わる中でビジネスの仕組みを学びました。
特に印象的なのは、100社を超える企業を担当し、財務諸表の読み方や業種ごとの特性を徹底的に学んだ点です。また、飛び込み営業や厳しい目標達成の中で、粘り強さと交渉力を身に付けたとされています。山野氏自身、「3年間の経験は、起業家として必要な基礎を築くために非常に有意義だった」と振り返っています。
この経験があったからこそ、リクルート退社後も自信を持って起業の道を選ぶことができたと言えるでしょう。リクルート時代に培ったスキルや知識は、現在のアソビューの成長にも大きく貢献しています。
起業家としてアソビューを創業
リクルートを退社した山野氏は、2011年にアソビュー株式会社を設立しました。当初は何もない状態からのスタートであり、資金調達や事業計画の策定に多くの時間を費やしたといいます。しかし、山野氏は「遊び」をテーマに据えたビジネスに大きな可能性を見出し、遊びや体験を予約できるプラットフォームの構築に着手しました。
アソビュー創業時は、まだ「体験型消費」という市場が確立されておらず、事業の成功は未知数でした。それでも山野氏は全国を回り、レジャー施設や観光業者と直接交渉しながらパートナーを増やしていきました。その結果、サービス開始から数年間で契約施設数を大幅に増やし、アソビューは国内最大級の遊び・体験予約サイトへと成長しました。
また、アソビューは単なる予約サイトにとどまらず、観光地やレジャー業界のDX(デジタルトランスフォーメーション)推進にも力を入れています。このように、山野氏は常に新しい価値を提供することを意識しながら、事業を拡大してきました。
山野智久の家族とアソビューの成長
アソビュー創業後の急成長
アソビュー創業後、山野氏は数々の困難に直面しながらも事業を成長させてきました。特に注目すべきは、サービス開始から数年で契約施設数が急増し、現在では全国各地の数千施設と提携するまでに至った点です。この急成長の背景には、山野氏の継続的な営業努力と市場ニーズを的確に捉えた戦略があります。
さらに、JTBとの業務提携をはじめとする大手企業との連携により、アソビューの認知度は飛躍的に向上しました。こうした取り組みにより、アソビューは国内のレジャー業界において欠かせない存在となっています。
妻や家族の支えと経営
山野氏は起業家としての多忙な日々を送る中で、妻や家族の支えを大切にしています。インタビューなどでも「家族の存在があったからこそ、困難な時期を乗り越えることができた」と語っています。
特に、創業初期の資金繰りや人材確保など、課題が山積していた時期には、家族の理解と支えが精神的な支柱となったそうです。このように、山野氏にとって家族は経営を続ける上で欠かせない存在であり、プライベートとビジネスの両立を重視しています。
コロナ禍を乗り越えたリーダーシップ
コロナ禍により観光業界が大打撃を受ける中、アソビューも売上が激減するという危機に直面しました。しかし、山野氏は「雇用を守る」という強い信念を持ち、社員の在籍出向という形で雇用を維持しました。この決断により、社員を解雇せずに済み、会社としても事業継続の道を確保できたのです。
また、この期間中には新規事業の立ち上げにも取り組み、事業の多角化を図りました。その結果、コロナ禍が落ち着いた後には、前年比成長率232%という驚異的なV字回復を遂げています。こうしたリーダーシップと柔軟な対応力は、山野氏の経営者としての真価を示すものと言えるでしょう。
現在の事業拡大と将来展望
アソビューは、その急成長と革新的な事業モデルが評価され、山野智久氏はForbesによって「日本を代表する起業家」として表彰されました。この表彰は、観光業界のDX推進や地域活性化に貢献した実績が高く評価されたものです。Forbesの選出は、アソビューが単なる予約サービスを超え、業界全体に新しい価値を提供する企業であることを示しています。
現在、アソビューは国内最大級の遊び・体験予約サイトとして確固たる地位を築いていますが、山野氏はここで満足することなくさらなる事業拡大を目指しています。具体的には、観光業界全体のDX推進や、海外展開を視野に入れた新たなサービスの構築に取り組んでいます。
また、山野氏は「遊びを通じて人々の生活を豊かにする」という理念を掲げており、その実現に向けて多方面での活動を続けています。今後も山野氏のリーダーシップのもと、アソビューはさらなる成長を遂げていくことでしょう。
まとめ
この記事では、山野智久氏の経歴とアソビュー株式会社の成長過程について詳しく紹介しました。幼少期からリーダーシップを発揮し、明治大学在学中には学生起業を経験。卒業後はリクルートにて営業力を磨き、その後起業家としてアソビューを立ち上げ、国内最大級の遊び・体験予約サイトへと成長させました。
アソビューの急成長の背景には、山野氏の継続的な努力と革新的なビジネスモデルがあり、JTBなどの大手企業との提携も大きな要因となっています。また、家族の支えやコロナ禍を乗り越えたリーダーシップも注目すべき点です。
今後は観光業界全体のDX推進や海外展開を視野に入れた事業拡大が期待されており、山野氏のリーダーシップのもと、アソビューはさらなる成長を遂げていくでしょう。
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